FILE2 : 信越本線旧線・米山〜青海川第8トンネル


はじめに
今回のレポに登場します第8トンネルは立入禁止のトンネルです。私達は自己責任の元に足を踏み入れました。
これをご覧になられている皆様は決してこのバカ共の真似をしないようにお願いします。(まぁそんな物好きはいないかぁ・・・)



信越本線米山〜青海川間は単線時代のなごりが数多く残っている区間で、
大半は(残念ながら!?)遊歩道として整備されています。
またココは私が高校生時代に毎朝毎夕通学で車窓を眺めていた区間でもあります。
そんな身近な物件ですから、『廃』スイッチがONになった直後から、行ってみたい所の候補になっていました。
そんなある日、ふとした疑問が生まれました。

青海川駅から鯨波方向に旧線跡があり、その先に廃トンネルが口を開けている事は
本やネットで確認済みだったが、その廃トンネルの反対側の口は何処にあるのか?

 【写真1】


この疑問が生まれてからは、出張で電車に乗る度、車窓をじっくり眺めたり、
あの近辺の地形を、記憶の中で辿ったりと、いろいろしてみましたが、結局自力で答を出すことが出来ませんでした。
結局、答は?というと、会社のお仲間であるナカP氏が、インターネットで調べてくれました。
現トンネルの鯨波側入口のすぐ横に位置していたらしい・・・現在はコンクリートで閉鎖されているらしい・・・
こっ、これは行って見なければ行けません。


航空写真(国土交通省空中写真 S50撮影)

デジカメアングル図(Mapion)

上写真拡大
  

  〔補足説明〕

  ※デジカメアングル図
   赤いラインが旧線跡ですが、トンネル部分は想像に
   基づきトレースしています。

  ※航空写真拡大
   旧線跡を解りやすくするために黄色で示してあります。

という事で、ナカP氏と共に現地調査を行いました。
先ずは閉鎖されているらしい鯨波側の入口へ。

 【写真2】

撮影ポイントがイマイチで解り難いのですが、確かに入口の右側に広い壁が有りました。
でも明らかな証拠や痕跡は解らずじまい。
かといって線路内に踏み込み、お叱りを頂くのもヤダしなぁ・・・
ということで、いそいそとココは撤収。次は青海川側入口へ移動。

5分足らずで青海川駅に到着。
駅の前に車を止め、リュックサック背負っていざ出発!
旧線へのアプローチですが、青海川駅から線路沿いに遊歩道があります。
この遊歩道は途中、現線の下をくぐり海岸側へと出るのですが、この場所が旧線跡となります。
旧線跡の遊歩道は現線と平行に並び、現線がトンネルへと吸い込まれる真横でトンネル側に直角に曲がり、
登山道のように姿を変え、その上にある旧国道8号線へと続きます。
【写真3】はこの直角に曲がる地点でその先にひっそりと口を開ける今回の主役を写しています。

 【写真3】

ココから先は線路でも道でもない“藪”が続いており、
我々はココからのルートを模索すべくすぐ脇の海岸へと降りました。
海岸では、肌寒い風が吹く中、数人のサーファーが波に揺られていました。
『うわぁ〜こんな日にモノ好きだなぁ』と思いましたが、『おいおいアンタらの方がよっぽどモノ好きだよ!』
と、勝手に心の中で自分につっこんでみました。

 【写真4】

さて、ルート選択です。
アナタなら何番を選択しますか?

@海岸線を歩き、岬にぶつかったところで土手を登る
A石積みの壁の上部をつたって歩き、最後は土手を登る
B【写真3】の藪をトンネル目指し、強行突破

私達は@を選択しました。
が、しばらく歩くとその先に極端に海岸スペースが無いポイントがあり、
こんな寒々しい日に濡れたくない事と、最後の土手登りがかなりキツイのでは?
という判断(弱気?)から@はやめました。

で、私達はAを選択しました。
が、土手上部に上がると足場が思ったより傾いている不安定さと、
海岸から3m程ある高さの危険性(弱気?)から、Aはやめました。

結局、私達はBを選択しました。
はじめから素直にそーすれば良かったのに、Aの土手の上がり降りで、
大事なデジカメを強打してしまい、ディスプレイに傷が付くし、勝手に電源がオン⇔オフするしで大失敗でした。

 【写真5】

上の写真は藪強行突破中のナカPです。
【写真3】のポイントからは相当厄介な藪に見えましたが、いざ足を踏み込むと全然歩き安くてビックリです。
おまけにココはレールが無い状態で藪化したらしく、足で草をどけると下から、
朽ちた枕木やバラストが簡単に顔を覗かせました。

 【写真6】

バラストが出てきた。

 【写真7】

いよいよ第8トンネル入口に到着しました。
ココはレンガ作りのトンネルの入口にコンクリート製の落石避けが後付されている格好で
米山〜笠島間の旧線トンネルのいくつかはこれと同様の姿をしています。
私個人としては、格好悪いのでやめてくれ!っと思ってしまいますが、
当時は何らかの事故があっての対策だったのでしょう。
まぁそもそもこんな海っぺたの断崖地帯に線路を引いたこと自体、疑問に思いますが・・・

 【写真8】

では、いよいよ内部突入です。
入口付近はやや水たまりとなっており、鮮魚をいれる発泡スチロール箱の断片がプカプカ浮いていました。
水深は数センチ、普通に歩けばシューズの側面から浸水してくるレベルでしたが、モノ好きな
先人がいたようで、大きめの石やコンクリート片で踏み石が作られており、おかげで濡れずに済みました。
風雨のあたる壁は緑にコケむしていましたが、その奥は煉瓦の茶と、カビ?石灰分?の白、そしてSLが
走っていた証である煤の黒で、3色まだら模様になっていました。
足下は凸凹した感じがあり、所々にぬかるんだポイントもありました。
廃トンネルはすぐに大きく右カーブとなり、外界の光を振り切るかの様に弱くしています。
そこで、この日の為に、散らかりまくった部屋から発掘されたばかりのラジオ付懐中電灯の登場です。
思わず張り切ってアルカリ乾電池なんぞ入れてみました。
“ピッかーん!!”
す:『おー新品電池は明るいねぇ〜♪ナカPのはどんなん?』
ナ:『ぼっ、ぼくぅ、忘れてきちゃいました・・・』
す:『まっ、まじすか?!(汗)』
仕方無いので1つの灯りを頼りに2人でゆっくり進む事にしました。

 【写真9】

上の写真は突入7分後に入口を振り返って撮影した写真です。
(以降の写真は、かなりの明るさ調整を施してあります)
ほぼこの辺りが入口の光を感じる限界でした。
真の闇に包まれた頃から、私達の周りをグルグルと1匹のコウモリが飛びまわっていました。
まるで、ココから先は行かせないぞ!とばかりに威嚇しているようにも思えました。

そしてついに、突入から14分後、行く手を阻むかのように大量の赤土が現れました。
これは人工的にトンネルを閉鎖した際の盛り土に違い有りません。

 【写真10】

しかし【写真10】の位置からは、いまいち閉鎖地点が確認出来ません。
そこでナカP氏を一人暗闇に残し、赤土の山を登り、先に進む事にしました。
赤土は高い所と低い所が交互に現れ、一番高い所だとトンネル天井に頭をぶつけるくらいの場所もありました。
赤土の凸凹をいくつか越え、おそらく10m程進んだと思われますが、いよいよアレが現れました。

 【写真11】

完全閉鎖地点!
とうとうこの目で確認しました。
やはり、コンクリートで塞がれていました。
うー、この壁をぶち抜いてみたいぃぃぃぃぃぃ!!
念願の閉鎖ポイントは確認できたものの、ホントにココは先程見ていた現線の真横なのか?
なんか、答が出たような、モヤモヤが増したような、へんな気分でした。
このトンネルのすぐ横に現在のトンネルがあるなら、電車通過時に少しは音がするはず。
しかし、突入から今までソレらしき音は一切しませんでした。
まぁ田舎だから14分間電車が通過しないのは不思議でもなんでも無いけど。
しばらく待って見ようかとも考えたのですが、予備ライトがないという不安要素もあったので、戻る事にしました。

帰りもコウモリちゃんに見送られ、外の光に導かれる様に足早に進みました。
徐々にトンネルの入口アーチが大きくなってくると、
この単線を当時走っていた運転士はこんな景色を見ていたんだ、とノスタルじってしまいました。

 【写真11】

外の光が強くなって、ハッキリと確認出来たのですが、地面の凸凹は枕木の跡だったみたいです。
外に出て気が付いたのですが、靴にSLの煤がついて真っ黒になってしました。
結局、目的は達成できたものの、
@ホントに閉鎖地点は現線トンネルの真横にあるのか?
AトンネルはS字に曲がっているのか?(地図や年輩者の話から得た情報)
の2点が宿題になったままになってしました。
まぁまだ何十年かは、あのアナボコもありそうだから、死ぬ前にもう一回行ってみるか・・・
どーですかナカP?


___________________________________

この廃トンネル探索の4時間後に、新潟県中越地方を中心とした
いわゆる新潟県中越地震が発生しました。
被災者の方々には心からお見舞い申しあげます。
もし、地震が4時間早く起きていたら・・・想像するだけでパニックです。
やはり廃トンネル探索は何らかの危険が潜んでいるので、
あくまでも自己責任において・・・が鉄則デスね。
ただそのおかげで、偶然にもラジオ付懐中電灯を持ち合わせていて
停電となった不安な一夜の強い味方となってくれました。
偶然ってコワイ。
当面アナボコ遊びは遠慮しよっと。

___________________________________

BACK

Go to Switch top!