FILE3 : 信越本線旧線・米山〜青海川第1・2トンネル その1


はじめに
今回のレポに登場する場所は地震による大規模土砂崩れがあった非常に危険な場所です。
これを見たアナタが現地に行って、もしケガ・事故等に遭われても、当方は何ら責任を負いません。




2007年7月16日10時13分頃、新潟県柏崎市を中心にマグニチュード6.6、震度6強の強い地震が発生しました。
いわゆる『中越沖地震』と呼ばれるこの大地震は、震源地から何十Kmも離れた私の住む地区でも震度5強を観測し、
柏崎から比べればかなり小規模ですが、道路の隆起陥没,建物の倒壊破損,断水,ガス漏れ等々が発生し、
地震の恐怖を3年ぶりに再確認させられる事となりました。
上の写真は私の某勤め先。空調配管が落下し、垂れ下がり、まるでUSJのバックドラフトをイメージしました。(大げさか)

当時ニュースではよく、国道8号線米山大橋(赤い橋)麓のJR信越本線青海川駅の土砂崩れを空撮していましたが、
時間が経つにつれ、新聞や雑誌等で柏崎地区のあちらこちらの写真が見られるようになってきました。
そのなかで、柏崎市米山地区にあります聖ヶ鼻という岬の土砂崩れを目にし、
『アッ、アレは大丈夫なのかぁぁぁ』と気になっていたモノがありました。
それはこのスイッチFILE2で紹介しました信越本線旧線の
旧第8トンネルから南に8q程離れたところにある旧第1トンネルの安否でした。
私と同じ会社に勤め、これらトンネルの近くに住んでいるT氏の話によると『埋まってしまった』とのことで、
どのトンネルのどこが、どの位埋まったのかは、あえて聞きませんでした。
それは、もし聞いてしまったら、いてもたってもいられなくなるのが分かっていたからで、
さすがにアノ当時は余震の可能性が大いにあり、危険性が高かった為に自制していました。
しかし、年が変わり8ヶ月経った今、そろそろ良いだろうという何の根拠もない確信を持ち、現地に向かいました。




【地図1】赤枠内が今回の調査地域

航空写真昭和50年頃(ココをクリックで拡大)
【地図2】地図1の赤枠部分

今回の調査場所の地図と航空写真(昭和50頃)です。
調査は旧第1トンネル,旧第2トンネルを主とし、時間があれば旧第3、旧第4にも・・・という範囲としました。
行程は、旧第3トンネル米山側抗口前の駐車スペースに車を置き、そこから自転車で旧第2トンネルに向かいます。
Go-outレポ34(2007年5月4日)と全く同じルートですので、地震前の状況と比較しながら見てもらえると興味深いと思います。
レポ内では便宜上、トンネル抗口双方をJRの駅方向にちなみ“米山側”・“笠島側”と記しています。
以下、旧トンネルの“旧”は省略します。                                    





上輪地区の高台から聖ヶ鼻を望みます。
第2トンネル笠島口が半分程埋まっているのが見えました。
この状況は国道8号線米山トンネルの柏崎側抗口を出た直ぐにある待避スペースから
確認していましたので驚きはしなかったのですが、チョットびびったのはその先の第1⇔第2トンネル間の状態です。
えぇっぇえうぇ〜(汗)
以前撮影した写真を持って来ればよかったのですが、
地震前と比較しないとまったくどの辺に抗口があるのか解らない状態。
完全に埋まっているのか?それとも崩れた土砂の影でココからは死角になっているのか?
とにかくあそこまで行ってみないと答えはでません。





ちなみにこの写真は上の写真と同じ場所から撮影したのですが、なにやら不思議な穴が・・・
なんだアリャ?不思議だけどあそこまで行ける度胸とスキルはないなぁ〜
あんなとこに行けるのはアノ人くらいか?・・・





第3トンネル米山側抗口前の駐車スペースから上輪地区の中央にある駐車スペースを通過し、
その最奥部まで行くと、目的の遊歩道区間の始まりです。
厳重なバリケードが有るかと思いきや、オブローダ様いらっしゃい状態。
よくよく見ると通行止めの立て看板が倒れていました。
でもこれが、風で倒れたのか、故意に伏してあるのかは謎。(どう考えても前者だが)
もしもの際の言い訳をアレやコレや思い浮かべましたが、なんにせよ、“ココから先は自己責任!”という訳です。




途中、落石や小規模の土砂崩れ地帯がありました。
規模は小さいとは言え、こんな岩が上から落ちてきたらタダじゃ済まされないと実感しました。





来た方向を振り返って撮影。
アスファルトの継ぎ目が以前より広がっている気がします。
一見、なんにも被害が無いように見えますが、このエリア全体が海の方向に落ち込んでいる様です。




この写真はGo-outレポ34の時のモノ。
上の写真とは向きが違いますが、ほぼ同じ所で撮影しています。
やはりアスファルトの継ぎ目は今ほど開いてはいない事が見て取れます。
そしてその先にあるのが第2トンネル笠島側抗口で、
分かりにくいかもしれませんがトンネル奥に、小さくなってしまった米山側抗口の明かりが見えます。
なぜ小さくなってしまったかと言いますと2005年の大雨で抗口前の斜面が崩れてしまったからです。
ただし、かがんで歩けば難なく通れるレベルでした。





第2トンネルに到着。
ここから見ると抗口が全て埋まったかのようですが、土砂が抗口手前に大きくたい積しているだけなので
この山を越えれば、ヤツはそこにいるはず。
それにしても、こんなに岩がゴロゴロして生々しい土砂崩れ現場に来るのは初めてなので、本気に恐怖を感じました。





足下に気を使いながら、土砂の山に登っていくと・・・ありました。
明治29年に造られたトンネルです。
これくらい古いと“トンネル”と言うより“隧道”と言ったほうがしっくりくる感じですね。
約110年間日本海の強風にさらされながら、ここで汽車の往来を見守り、上輪地区住民の生活道路となり、
子供の自転車の練習を見守り(?)、今はオブローダーを待っていてくれました。
土砂に埋没しなくて良かったぁと一安心。





しかし無事に見えた第2トンネル笠島側抗口ですが、よく見ると痛々しい傷痕が有りありました。
抗口中央部に亀裂が入っています。
この傷がこのトンネルの将来を左右する致命傷とならなければ良いのですが。





中に入りました。
元々半分以上塞がっていた米山側抗口は案の定完全に埋没した模様。
一切奥から光りは感じられません。
本当は封鎖状況を確認したかったのですが、
足下が“にゅりゅんにゅりゅん”していてまともに歩けないので、やめてしまいました。
ほんの5m位奥に入りましたが、何回か転倒しそうになりました。
それにしても先客の足跡がいくつかあるなぁ・・・無くはないと思ったけど物好きはいるもんだ。





今入ってきた抗口の状態。
封鎖状況を確認出来なかったもう一つの理由はコレ。
『今、土砂崩れがあったら本当に生き埋めだぁ〜』って考えたら長居出来なくなってしまいました。
正直ビビっちゃった訳です(汗)





第2トンネル米山側抗口が閉鎖されているからには、その先に進むべくルートは2つ。
青色で示した海ルートと、黄色で示した山ルートです。
実はココに来る前からこのルート選択についてアレやコレや頭の中で試算していました。
海ルートを使えば大半がフラットな道筋を辿れますが、1ヶ所波によって寸断されている様に見える箇所が心配ですし、
もし無事に第2トンネルを回り込めたとしても、海岸から旧線路盤まで上がれない可能性があります。
山ルートを使えば体力的にキツイかもしれませんが、少なからず第1トンネルの様子は確実に確認出来ます。
ただし、この写真の様に国道からもハッキリ見えてしまうので、通報されるんじゃないかという恐怖心や、
山の反対側がどんな状況なのか皆目見当が付かない為、滑落・落下の心配もあります。
どっちかがダメなら、もう片方で進めばいいじゃん!と思うかもしれませんが、
30代を折り返し、日々ダラダラと過ごしている私にとって、スタミナを有効に使うことが調査を完了する上で
重要なファクターとなりうることは自覚していますので、ココは慎重に・・・



その2へ続く



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